平成 30 年度 島田二郎後援会総会の開催
平成 30 年 6 月 16 日に島田二郎後援会の総会が行われました。開催にあたって、後援会長 (須山隆一) より日頃の活動へのお礼の言葉があり、
続いて、しまだ二郎より日頃のお礼と「来るべき時」への支援をお願いがありました。
【しまだ二郎が政治にこだわる 3 つの思い】その 1 つは現在、島根県や国の選挙で投票率が下がっています、島根でも以前 80% 台であったものが 60% を切るような時代です。国全体ではもっとひどいものになっています。
それは政治に対しての不信感であり、今の政治に「何を言ってもつまらない (政治に対する閉塞感)」と感じている方がいかに多いかです。その事は、地域社会の衰退につながっていくし、結果的に国力もどんどん落ちてしまう。誰かが声を出して、引っ張り上げなければならないと思っています。「島根県は、いや日本はこのままで良いのか ? 」
今、世界は米国と北朝鮮の関係のように激変しています。このような中で日本そして島根県は何をなすべきなのか。政治家は、もっと勉強をして県民や市民に問いかけなければならない。「森・加計問題」を 1 年も 2 年もかけて国会で議論している場合ではないと思っています。こんな政治を観ていると政治家の先生には失礼ですが、政治家が劣化してしまっているのではないかと、私は危機感を覚えています。
2 つめに、「私、しまだ二郎は、市町村合併を積極的に進めた人物です。」中央集権が完全に衰退していると言うか、破綻しかけている中で、「これからは地方分権だ ! 」と言うようになって、もう 30 年近く経っています。法律も変わって、スタートしたのが平成の初めでした。
では、なぜ合併をしていかなければいけなかったのか、それは「自分達の地域のことは自分たちで決める ! 」「自分たちでやっていける仕組みを早く作る ! 」この事を「国が言って来たのが地方分権」です。
私は安来市長時代 1 市 2 町を合併し、首長が 3 人から 1 人、議員は 54 名から今や 22 人、職員は 10 年かけて 100 人を削減していく事を行いました。ものすごい経費の削減です。そこまで血を流すような努力を何故やらなければならなかったのか ? 「少子・高齢化が進み、社会保障費がどんどん上がっていく」これをどうやってまかなうのか、まずは行政コストを下げて、効率化して地域がすたれないように、公民館単位の中で拠点を点々とつくり、高齢者の方も子供も、そこで暮らせるようなシステムを早く作る。
これが地方分権の考え方でした。それが今、中途半端で止まってしまっています。
これは、中央から官僚の人がトップに来てやれることではない「地元の人間が汗を出して、地元の人間がきちんとシステムを作る ! 」と言う「気概」が無いといけない。
そして 3 つ目の理由は、私は 64 歳になりました。あと何年政治ができるかわかりませんが、政治家は、「この地域の意志を、考え方を、次の人にバトンタッチをする事が大切な政治家の役割でもあります。」私の反省点としてバトンタッチが出来る政治家を育成してこなかった。「政治と言うのはバトンなんだ ! 」と、そうしないと地域は衰退してしまう。
私はこの事をやらないといけないと思っています。「次の世代の方、頑張ってほしいと」と言っていく事をやらなければいけない。そのためには、「私自らが、もう一度表舞台に出て、引っ張っていかなければいけない。」と思うのです。
この 3 つの理由が「この私が政治をまだ止められない」大きな理由です。